「美醜ダイニング~狂った男の話~」

 桜咲く春。花見日和の4月。来月は鯉のぼりが空を舞う。春麗たる季節。

 誰もがこの季節に心を躍らせ、躍動する気持ちをこれから迎えるシーズンに合わせてときめかせていくのだろう。それはときに美しい出会いのことでもあれば、ときに寂しい別れを奏でるものでもあるのかもしれない。

 私、林秀美は私の営む「美秀ダイニング」で腕を振るう。

 鮮血の滴る牛肉はフライパン上で美しく焼かれて味付けされる。

 今日も今日とて時間になれば客がやってくるのだろう。

 まな板のうえで踊る食材を愛でながら私は鼻唄を口ずさむ。

 これが天職だ。そう思えているのはお客様のお蔭様である。

 そして私の跡を継ぐ息子が活躍してくれているからでもある。

 東京で修業した息子悠斗は立派な料理人となって我が家に帰ってきた。

「親父の店を護りたいから」

 その言葉で私は私の人生を全うできたとより思うことができた。

 妻が亡くなったのは悠斗が5歳のときだった。信号無視をして、猛スピードで走っていたタクシーに妻の命は奪われた。おぞましい絵画を描く事が趣味の少し変わっていた妻であったが、店の手伝いに子育てに一生懸命な妻であった。

特に息子の悠斗は母親をとても慕っていた。そんな慕っていた家族の死から、彼は家で喋らなくなった。元々私自身が息子とほとんど口をきくことをしていなかったものだから、私は勝手に息子に嫌われているものだと思っていた。

「親父の店を護りたいから」

 この言葉が私の人生の中で1番の驚きのあった言葉であり、喜びのあった言葉であるのは私だけの秘密にしている。

 息子の帰還に心が湧く私だったが、それでもそれを素直に彼のまえで表現するのは気が引けた。本音じゃ嬉しいのに、私の性格はねじまがっているみたいだ。今でも親子の会話は昔と同じで少ない。

 私の目から見て、悠斗の調理は私以上のものでもなければ、私以下のものでもなかった。しかし信頼するには充分な力を調理場で発揮していた。いや、本音を言えば若かりし頃の私に良くも悪くも似ついていた。

 悠斗は東京で相当な腕を磨いたらしい。

 店のメニューが好評から好評を呼び、次第に客の数が少しずつ増えていった。

 やがて、私の店「美秀ダイニング」はテレビで取り上げられるまでになった。お客様はさらに増えていった。今となって暇な営業日は1日たりともなくなった。

 しかし私は忙しい日々のなかで自分の腕の衰えを感じはじめていた。

 お客様の顔をみればわかるものがあった。以前よりもその舌に味あわせる旨さや満足感は、微妙ながらも落ちてきているのだ。いっぽうで悠斗の技術は接客の仕方から調理の細かい知識まで油にのってきているのが目に見えてわかった。

 もうここが潮時だろう。気がつけば、また年月が瞬く間に過ぎてゆき、悠斗も結婚を間近に控えるようになった。まったく人生とは目まぐるしく変化してゆくものだ。歳を重ねるごとにその実感は増していった。

 私は正式に悠斗へ後継のバトンを渡す覚悟を決めた。その時だった。

『息子の悠斗さんが交通事故に遭いました』

 突然の電話だった。私が病院に駆けつけた時、悠斗は息をひきとった。

 私は嗚咽を漏らした。これまでない程の嗚咽だった。愛してやまない子の死に私は言葉を失って、ただただ悲しみの慟哭に喘いだ。

 私は皮肉にも妻も息子も交通事故で亡くしてしまった。悠斗は高速道路にて、最近頻発しているあおり運転の被害に合い、口論となった際に走行車に轢かれてしまったとのことだった。

 私はもう既に料理人としての寿命を感じていた。しかし生きてゆく為にはもう少し頑張らなくてはならないようだ。悲しみに暮れている暇がないのが辛かった。本当に辛くて本当は何もしたくないのだけど、それでもこの悲哀渦巻く世に家族一人命を残した私は必死で生きていくのに他ならないのだ。

 私はなんとか奮い立って、私一人でお店を切り盛りした。しかし客は日に日に減っていった。頑張れば頑張るほどにその結果は厳しくも店の状態、店が残していく数字に顕れた。それでもここまできたら、私は後ろに引けないのだ――

 私はある日、思いだして1枚の絵画を物置からとりだした。妻の美蓮は奇妙な絵画を描くのが趣味だった。生前最後に描いた1枚、それを壁に飾ることにした。

 花筏を白目を剥いた人と動物の死骸が流れゆく絵画だ。気味が悪い絵だが私はその美しさに魅せられるように、1日の終わりにそれを眺めつづけた。かつては私も忌嫌っていた物だったのに、どうしたことだろう。昔と今ではまるで違った。

 ますます客の数は減っていった。遂に赤字をだすようにもなった。

 そんな時、私の店の近くに私の店と同じような洋食店が建った。

 店主は開店を記念するタイミングで結婚をしたという。何の皮肉なのか、その花嫁は悠斗のフィアンセだった女だ。

 話題の洋食店店主が私の店を訪ねてきた。そして名刺を渡してきた。

「秀美さん、貴方がこの舞台を降りるには早い。私の店で共に切磋琢磨できないだろうか? 妻も貴方のことを心配している。今日召し上がってみたが、これは私じゃ真似できない逸品です。貴方が望むなら、この店の店名に変えてもいい」

 はぁ? コイツは何を言っている? 喧嘩を売りにきたというのか?

「受けては貰えませんか......わかりました。ただ御言葉ですが助言させて下さい。そこに掛けてある絵画、外したらどうです? せっかくの美味が雰囲気で台無しですよ? では私はこれで失礼します。ああ、これがお代です。釣りは結構です」

 男は去った。私は貰った名刺と紙幣を破り捨ててゴミ箱に捨てた。そして私は何度も何度も激しく机を叩いてみせた。

「ウ、ウガアアアアアアアアアアアア!」

 私は大声で吠えた。そして涙を流した。

 顔をあげるとそこに美蓮の描いた絵画があった。

 美しい......なんて美しい絵なのだろう......私はそのまま項垂れた......

 美しい桜の蕾が実りはじめた3月、私は遂に私の店を畳んだ。

「いらっしゃい! お! 奏さん! お待ちしていましたよ!」

「待っていましたよ!! ゆっくりしていってくださいね!!」

 私は席に座ることなく、店主とその妻をたて続けに忍ばせていた包丁で刺した。

 その場に居合わせた若い女性3人組の客は悲鳴をあげ、逃げていった。

 勝手に逃げるがいい。追うことはしない。もう此処はこの瞬間から私の店だ。私が好きにして好きに営めるのだ。何の問題がある? 私はこれまで充分すぎるぐらい頑張ってきたのだ。最後ぐらい華々しく狂って何が悪いのか?

 桜咲く春。花見日和の4月。来月は鯉のぼりが空を舞う。春麗たる季節。

 誰もがこの季節に心を躍らせ、躍動する気持ちをこれから迎えるシーズンに合わせてときめかせていくのだろう。それはときに美しい出会いのことでもあれば、ときに寂しい別れを奏でるものでもあるのかもしれない。

 私、林奏は私の営む「美醜ダイニング」で腕を振るう。

 鮮血の滴る人肉はフライパン上で美しく焼かれて味付けされる。

 今日も今日とて時間になれば客がやってくるのだろう。

 まな板のうえで踊る食材を愛でながら私は鼻唄を口ずさむ。

 これが天職だ。そう思えていたのはお客様のお蔭様であった。

 そして私の跡を継ぐ息子が活躍してくれているからでもあった。

 東京で修業した息子悠斗は立派な料理人となって我が家に帰ってきた。

「親父の店を護りたいから」

 その言葉で私は私の人生を全うできたとより思うことができたのだ。

 しかし全てが虚像だったのか。全てが血まみれた現実で終焉を迎えるようだ。

 そして私は牢屋のなかで闇深き虚構を仰ぎみた――

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