「少女はいまもそこにいる」

 トンネルをゆく車内で私は助手席に座っていた。

「どこいくの?」

「パパとママがいるところだよ」

「遠くにきてない?」

「大丈夫。パパとママの顔をみたら安心するよ。もう少しで着くから」

 ハンドルを握りながらも、そう言って私に微笑む彼の顔は穏やかだった。

 トンネルを過ぎても闇は続く。果てしない夜逃げをしているように私は感じた。

 私はときどき溜息をついた。それでも彼の表情は何ひとつ変わらない。

 ずっと穏やかで涼しい顔をしている彼へ次第に私は恐怖を感じるようになった。

 何かがおかしい。最初はそう思えなかった。

 学校からの帰り道、友達と別れて私は家路を辿った。やがて家に着いたのだが、家には鍵が掛かっていた。私が住んでいた町は山奥の田舎で、友達の家に行こうにも時間をかけなければならない。帰ってきた道を折り返すのは面倒だ。

 私は玄関先でしゃがみこんでいた。そこへ彼がやってきた。

「お嬢ちゃん、パパとママから話を聞いてきたよ。パパとママのところに行こう」

 全く見知らない成人男性だった。眼鏡をかけた普通のサラリーマンというか、白のワイシャツに黒のスラックスの普通の男だ。

 全く警戒をしてなかったワケではない。しかしその男から私の名前と私の両親の名前が出てきた時に「おや」と思った。

 そしていかにもご近所さんみたいな感じで馴れ馴れしく話しかけてくる様子に、私はいつの間にか心を許していた。そして彼が運転する白の軽自動車のなかへと誘われたのだ。

 男の車に乗って1時間、2時間......何時間経っただろうか。私の住む地域からだいぶ離れたところまでやってきたように思う。

 やがて車はどこかのサービスエリアに止まった。

 男は飲み物を買ってくると私に言い残して、車を去った。

 瞬間的な行動だったと思う。

 私は男が自動販売機で飲み物を購入している隙をついて逃げ出した。

「待て!! どこに行く!!!」

 男の大きな罵声があたりに広がった。

 私は必死で山道を逃げた。逃げて、逃げて、逃げることに集中した。

 男の声はしばらく私の耳にとどいた。

 男は追いかけてきている。捕まってしまえば、もう2度と逃してはくれない。直感でそう感じられた。我ながら賢明な判断だったと思う。

 藪のなかを懸命に逃げていた私は、気がつけば傷だらけになっていた。

 息を切らした私は適当な茂みのなかへ身を投じた。

 外は暗くて何も見えない。蛇だか虫だかが動いている音が耳を突く。

 男が近くにきているのではないか?

 私の鼓動ははち切れそうなぐらいに高まった。息を殺して身を潜める。それがこんなにも苦しいことだなんて思いもしなかった――

 翌日の昼さがり、私は近辺の住民によって救出された。このときの記憶はない。いや、病院で目が覚めて、そこに涙を流して喜んだり謝ったりしている両親の姿があった。そのことを朧気ながら覚えているぐらいで、本当に覚えてないのだ。

 ただ、この1週間のうちに私がいた某都道府県では私と同じ年頃の少女が謎の失踪を遂げる事件が多発していた。どれも学校からの帰宅時に生じていた。

 私は暫く警察に保護され、男の話を根ほり葉ほり聞かれた。

 男の顔はハッキリと覚えていたので、しっかり伝えることはできたと思う。

 しかし悲劇は起きた。

 行方不明になって1カ月も経つKちゃんという女の子が五体バラバラにされた形で山中にて見つかった。それは私が救助された山のすぐ近くの山だった。

 9件にも及んだこの少女の誘拐事件はKちゃんの遺体発見から、まったく聞かなくなった。それは地域をあげて子供を守る取り組みが県をあげて為されたからだと思うけど......私とKちゃんを除く7名の女の子達は未だ見つかっていない。

 あれからもう約二十年の年月が経っただろうか。

私は今でも警察署に向かい当時の話をすることがある。いや、事情聴取を受けているといったほうが正しいか。

 結局犯人らしき人物は特定できず、事件は闇のなかに葬られていくようだった。

 そう思っていた矢先だった。

 十八年前に起きたO県少女誘拐殺人事件の犯人が長い時を経て逮捕されたのだ。男は三年前に少女誘拐未遂で逮捕された五十代の男性だった。在住する都道府県はH県で妻子を持つエリート公務員であったことが世に知らされた。

 男は当初容疑を否認していたが血液検査の結果で、Kちゃんをその手に殺めたことが明らかとなった。また男が所持する倉庫より7名の白骨化した小児の遺体が発見された。それはどれも十八年前に行方不明となった少女たちのものだった。男は黙秘をはじめ、周囲には「死にたい」としか言わないようになったらしい。往生際の悪い奴だ。人殺しなんて大体そんなものかもしれないが。

 しかしここまで知って、知りたくないワケがなかった。

 私は逮捕された男の顔をみて愕然とした。その男の顔は私が記憶している男の顔とまったく別人の顔であったからだ。長い顔の輪郭に、細長い目つき、低くて大きめの鼻、慎重は188センチと大柄な彼の特徴はまるで私の記憶にある男と違うものだからだ。

 警察には話した。しかし「トラウマだからハッキリと覚えているようで覚えていないのだろう」となだめられるばかりだった。そして、そうした反応の仕方は家族や友人知人も同じであった。

 違う。本当に違うのだ。私を連れ去ったのは......。

 逮捕された男の事など私はどうでも良かった。それでも私は男の裁判に参考人として呼ばれる事が決定しようとしていた。ところが男へ私の幼少時代の写真を見せても「見覚えがない」としらを切るばかりで、私も同じような反応を示したことから、結局その話はなくなった。

 この時からである。

 私は急に誘拐された時のことを鮮明に夢みるようになったのだ。

 昔住んでいた家に男がやってきて私を車のなかへ誘ったこと。

 車のなかで長い時間、揺れていたこと。

 サービスエリアに到着して、男が自動販売機に手を付けている時に逃走した事まで。一連の流れ全てをハッキリとした感覚で思いだしていた。

 夢はいつも茂みのなかで息を殺す私を再現して閉じていった。

 目を覚ました時、私はいつも冷や汗をかいていた。

 寝不足で仕事が手につかず、遂には退職して病院の世話になった。

 周囲も世間も例の容疑者と私を関連づけて「可哀想に」とみてくるばかりだ。私の本音を真摯に聴いてくれる存在はどこにもなかった。

 違う。真実はみんなが思っているそれではないのだ。

 でも、いつまでもこの忌々しい記憶に囚われてしまってはいけない。

 私は奮い立った。気丈に生き抜こうと賢明に自分と向かい合った。

 ある程度の月日がかかったが、私は仕事に復帰した。勿論今でも幼少時のあの時の出来事を再現する夢を毎晩みる。でも、なんとも思わなくなった。慣れたというべきか? 一生懸命取り組んだ治療が実ったというべきか?

 目が覚めても冷や汗をかくことはなくなった。

 背は小柄の小太り体型、目は二重瞼で大きめの瞳、鼻は高くスッとしている。七三にわけ、整髪料をビッシリとつけているその感じは真面目な好青年そのもの。黒縁の眼鏡も違和感なく、よく似合っている。声は高めだが聴きとりやすくて、その穏やかな口調から好印象で頷ける容貌だ。

 私はこないだまで、夢にこの男が出てくることがしんどくて仕方なかった。

 でも、いまはもう何とも思わない。このまま老いていっても、何の弊害もないだろう。私はやっと本当の私を取り戻せてきたように感じた。

 男性恐怖症だった私に友人から縁談があり、遂にこんな私にも彼氏ができた。

 彼は私より2つ年下の男性だが、大手企業に就いている将来有望なしっかりとした交際相手だった。夢にでてくる男よりも遥かに格好がよくて、私はすっかり彼の虜になった。

 交際開始して3カ月、そんな彼が突如行方不明になった。

 私はおかしくなりそうな気を紛らわそうと本を読んでいた。

 本を読みながらある違和感に気がついた。

 視線を感じる。誰かがじっとこっちを見つめている。

 その視線はまっすぐ私を捉えていた。

 彼だ。髪は白髪ですっかり老いているが、夢にでてき続けた彼そのものだった。彼は穏やかに微笑みながらも、コーヒーを飲み乾してそっと席を立った。

 私は金縛りにあったように体が硬直して動かなかった。

 心臓が飛び出るように私は静かにパニックを起こしていた。

 久しくかかなかった冷や汗が止まらない。私の息は今にも止まりそうだ。

 男はズンズン私のほうへと近寄ってきた。

 男は私の肩を軽くポンポン叩くと、そっとこう耳うちした。

「またドライブ行こうね。あの日の続きをしよう」

 そして彼は去っていった。

 私は過呼吸のまま姿勢を崩した。

 私はそれから行くところ行くところ各所であの男と出くわした。

彼は離れた場所から私を舐めまわすように眺めているだけだが、いつでもそこから迫ってきそうな気がして仕方がなかった。

 私はときに彼を指さして叫んだ。しかし誰にも彼が見えることはなかった。

 ここまで話してきたこと全てが事実だ。

でも、もう我慢の限界です。

 私はここから逃げます。行く宛てはどこにもありませんが。

 だから私を探さないでください。

 さ よ う な ら 。


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